今日、電車の窓から見えた景色について
特に何かあったわけではない
この通り、何か特別なものが見えたわけではないのです。
ただ、確実に何かが見えていたということは、どういうことなのでしょうか。
それは、世界があるということを意味しているのでしょうか。
窓から見える景色というのは常に不思議なものです。
一つの額縁に入っている絵が常に動いているような感覚。
世界は動くのか
窓からの景色を見ていて思ったことは、このことです。
世界は動くのでしょうか。というのはつまり、私は動くのでしょうか。
ハイデガーによれば、世界=内=存在という存在様相を抱えているわれわれ現存在(自分自身)は世界と常にかかわりあい、それを了解している形で存在しています。
ヒューマニズムこそが世界、すなわち世界は人間
しかし、これはやはり世界と現存在をどうしても別のものとしてしまっている思想であるはずです。
しかし本来、ヒューマニズムこそが世界であるはずです。
つまり、人間こそが世界であり、世界は人間でなくてはなりません。
「信じる」ということの世界性・人間性
たとえば、飲食店に一人で入り、トイレに行く際に席に財布を置いていったとします。
これは世界を信じているからなせることであるはずです。
仮に「盗まれるのではないか」という疑いを少しでも持ったのなら、この行動は不可能です。
この行動を可能にしたのは、「誰も盗まないだろう」という信頼を置いたからではありません。「あそこにいる人たちなら大丈夫だろう」と信じる。つまりは人格を信じているからなのです。
このように、世界即ち人格・人間を信じることがヒューマニズムである。
そう私は考えます。
疲れた。煎餅おいしい。